前園直樹 MAEZONO naoki

■前園直樹グループのヴォーカル担当。
 http://maezono-group.com/
■レコード店・店主。内国産。通販専門。
 http://loveshop-record.com/
■馬場正道と結成した「国ポ連(国産ポピュラー音楽連絡協同組合)」では代表を務め、日々、国産ポピュラー音楽について、楽しく連絡を取り合っています。

わたくし前園直樹と、小西康陽さんが、この秋から新しくバンドを始めることになりました。

ごあいさつの前に、以下、長い、長い、前置きを。よろしいでしょうか。


ありがとうございます。


それでは、前回の「レコード手帖。」用の原稿を書き終えてから、しばらく、僕はひとつの記憶のなかにいた、という辺りから書き始めることにします。

ピチカート・ファイヴの「めざめ」という曲を、おもちゃのキーボードで弾かせてもらった友人の部屋。その、一夜の記憶。10年前の話です。

僕は大学に入学し、付き合い始めたばかりの彼女と一緒に、その部屋を訪ねていました。

友人と、友人の彼氏。二人は僕らより一つだけ年上。四人で発泡酒を開け、レコードを聴いたり、映画や本の話をする、そんな晩でした。

皆、おなじ大学に通ってはいましたが、学部や専攻がそれぞれ異なることもあり、まして、毎日学校を休んで自分のアパートか、街の本屋、レコード屋、カフェ、或いは古道具屋、その何処かにいた僕が、彼等と学校で会うということは、稀でした。

僕は、音楽のことばかり考えていました。

買うレコード。本。観る映画。街の看板。ポスター。バスに乗り合わせた人々の会話。18切符で行った四度の旅。カメラで切り取った風景。コーヒーを飲むということ。女性と付き合うということ。

すべてを自分の作る音楽に反映させようと、躍起になっていました。

その晩。友人の部屋。

当時、未だかなりの下戸であった僕は、350ミリリットルの発泡酒を二缶ほど空けた辺りで酩酊し、日頃から思っていたことを話しはじめました。

「本当は、バンドがやりたい。」

友人たちが、これに対して具体的にどんな言葉を返してくれたのか、全く憶えていないこととは裏腹に、自分はこうありたい。あんなことがしたい。例えばあのバンドのように。というふうに、間髪を入れず捲くし立てていたことだけは、はっきりと憶えています。

同時に、自分が突然偉そうに語り始め、思うようにいかぬ現実への不満を彼等にぶつけ始めたということに、面喰らうそばから嫌悪感も抱いていた、ということも。

やがて募る不満が、自己主張を悪態へと変え、相談にのってくれている彼等を小馬鹿にするニュアンスが大いに入り混じるようになり、どうにも感情を抑えることが出来なくなっていきましたが、未だ頭の片隅で、そんな自分に辟易しているもう一人の自分を認めることも出来て、感情が完全に片方へと振り切れぬもどかしさが、こぼす悪態にさらに拍車をかけて。

いつの間にか、レコードの針も上げてしまって。

当時の僕には、既に、デモンストレイション用として、一人多重録音という手法で生まれて初めて制作した5曲入りのカセット・テープがありました。

それを多方面に送った結果、日本のインディーズのレーベルから、オムニバス盤への参加依頼を受け、そのテープから1曲が収録されたり、東京は吉祥寺の、ドロップというクラブで行われていたイヴェントの主催者チームからも、ライヴやDJ参加の誘いを受けて出演したり。

そんなふうに、ひとまず得られていた一応の成果を踏まえて、友人たちは、おそらく冷静に、ひとりで作る音楽、というスタイルをしばらく続けてみるべきだ、と僕を諭そうとしてくれたのだと思います。そんな彼等に対して、きっとその晩、僕は「若いのに、そんなに冷静でいられるか」ぐらいの台詞は投げ付けているはず、です。

余談ですが、そのカセット・テープに収録されていた5曲中、日本語で書いた1曲を除く4曲の歌詞は、すべて英語で書かれていました。しかも、the pastelsの「mandarin」という曲のカヴァー以外は、でたらめの、酷い英語で。
あの時代、少なくとも僕の棲む街では、日本語で歌詞を書くことを、見えない大きな力が(未だ)遮っているかのように思えて、僕は宙ぶらりんの状態で、抗おうにも自分の才能のなさ、そして日本語に取り組む、ということへの、自信のなさが精神に蔓延し、肩を落としていました。

それはさておき。悪態をつき終えた明け方、友人の部屋から、僕は一人、泣きながら帰ったことを、憶えています。

「僕には仲間がいない。」

そんなことは決してなかったのですけれど。

それから数年後。前回の拙稿に記したような、新たな場での経験を重ねながら、僕はけっきょく、制作の粗方を一人でおこなってしまうスタイルを貫いて作品を残していましたが、年々、仕事と趣味、双方の目的を兼ねて買っていた、同時代の音楽(新譜)にも、ライヴ・イヴェントなどで主催者が一緒にブッキングしてくださる競演のアーティストの楽曲(新曲)にも、まったくといっていいほど興味を持てなくなっていきました。現実の音楽の、すべてが面白くなく、すべてが不満という状況。僕は山奥に引きこもりました。挙句、ごく一部で実際に死亡説まで流れましたが、その実、当時の記憶があまりないのです。

さらに後になり、僕が、中古レコード店を開くこととなったのが、2年前の、ちょうどいま頃。国産ポピュラー音楽専門の云々、と能書を垂れながら。

失意から這い上がることを目しての、ルーツ回帰。それとも、新しい、どこか、居場所を求めての高飛び。否、もっともっと、自棄な心持ちでの始動だったような。けっきょくオレには古いレコードしかない、といったような。誰か、何か、仮想敵を見据えて構えに入ったのは間違いないのですけれど。

この辺りのお話しというのは、初回寄稿時のものと直接関わり合ってくる部分でもあります。

そこには、レコード店を開いてから、いくつかの別れがあった後、たくさんの出会いが訪れた、と記しているように、開店してから全く告知を打たず、だらだらと営業して半年ほどが経ったころでしょうか。

或る日。小西康陽さんが訪ねてくださいました。突然のご登場。

ちなみに、ほとんど時を同じくして、小西さんが編んだ「bossa nova 1991: shibuya scene retrospective」というオムニバス・アルバムに、僕が以前発表していた「フローラル・エクスプレス」という曲が収録されることになる、というお話しを戴いたこともありましたが、それは、レコード店の主と顧客という立場とは別の次元で粛々と進んでいった、そんな印象が残っています。

レコード店で出会えたこと。個人的には場所、タイミング、共に申し分なかったな、と思っていまして。

お店でのお付き合いの始まりを契機に、小西さんの出演されるイヴェント会場(その多くは新宿OTOのジャズ&ジャイヴ)に頻々と僕が伺い、たくさんのお話しを交わすようになっていきました。僕のせいでしょうか、それとも、小西さんのせいか、話題は未だに、当然のように、いつもレコード、或いは音楽のことにばかりに偏っています。時々、古本。ああ。

そんな僕と小西さんが、この秋から正式に、新しいバンドを始めることになりました。

或る日の会話。僕の手帖から。

僕から小西さんへ。

事前に、インターネットとメールを通じて、十数曲の、僕の好きな日本の歌謡曲(オリジナル盤の音源)を聴いてもらい、やり取りがあった後で。
ちなみに、そこはLike A BossaというDJイヴェントの会場で、ブースにいたのはBOOT BEATこと神谷直明さんでした。

「日本の古いイイ曲がたくさんあるんだから、もう新曲なんか無くたっていいのでは。」

ソングライターの小西さんにとっては、失礼な話だったか、と後になって思い返しました。でも、僕は真剣な気持ちで、そう話したのでした。並々と注がれたズブロッカを何杯も飲んで、相当酔っ払っていましたけれど。

小西さんから僕へ。

まったく別の日。長谷川きよしさんの、江古田buddyでのライヴ後のお食事に同席させていただいたときのこと。氏の1970年前後の楽曲などについて僕が話したのを受け、長谷川さんから「なんで、そんなむかしのこと、知ってるの?」と問われ、返答しあぐねていると。

「けっきょく、いまの音楽がつまらないんだよね。」

僕と小西さんが放ったことば、とは、或る種の「極論」かもしれないけれど、僕はもちろんのこと、忘れもしない、小西さんも、仰ったときの表情は、至極真剣なものでした。少なくとも、二人とも、目は笑っていなかったはず。そして、発言に対し、お互いがまた、真剣に肯きを返した、はず。

おそらく、この会話の周辺にあった空気が、この度のバンドのコンセプトの、出発点となっています。

「いまの音楽がつまらない」と仰りながら、小西さんが新しい曲を書き続けてきたことは、このサイトをご覧の方なら、周知のはず。
僕はいっぽうで、ここ数年、大真面目に「いま、新曲を書かない。新曲を歌わない。そういう姿勢を表明すること」について自問しつづけてきました。時折、揺らいだりはしてきましたけれど。

そんな、一見、真逆のベクトルから「いまの音楽」のことを考えているように思われるかもしれない僕らは、互いに閃きを感じ合って、これから、

「日本に残されているうたを、新しくアレンジして、新しくうたう」

そのことに挑んでいこうと決めました。もう一人の新たなメンバー、羽立光孝(はたち・みつたか)さんをお迎えして。

「CDをはじめとした、音楽メディアの今後はどうなっていくのか。失われていくものなのか。」

そういった問題にも、ある一定の姿勢を示しながら、活動していきます。
当面は、ライヴで表現していく、というスタンス。ですから、リリースがない、となると、コロムビア、ひいてはコロムビア*レディメイドに籍を置きながらの活動、というスタンスではなくなる、ということになります。

聴いてくださる皆さんの反応。時間の経過と共に分かってくるであろう、バンドに対するニーズの変容。そして僕たちメンバーの心境の移ろい、など。インターネット上の、こことは違うまた別の場所、オフィシャル・ブログにて書き記していければ、と思っています。そのブログも、まもなくスタートします。

そう、そう。
来月からのライヴの予定、少しずつ決まってきています。

まずは、10月8日、水曜日。かつて、「ゾニーズ」というロック・バンドが出演したこともある、東京は池ノ上「ボブテイル」。
そして、10月12日、日曜日。京都の「ボロフェスタ」というイヴェントに出演が決定しています。以降も、ライヴ、やっていきます。会場で、お会いしましょう。


ヴォーカル、前園直樹。ピアノとアレンジメント、小西康陽。ウッド・ベース、羽立光孝。

僕たちのバンドの名前は、「前園直樹グループ」です。


自己紹介を、ごあいさつに代えて。

ごあいさつ/前園直樹(2008年9月14日)

■前園直樹 バックナンバー

■何がどうしてこうなった (2008年7月19日)

■前園直樹とゾニーズ コンサート・リポート (2008年6月11日)

■長谷川きよし コンサート・リポート。 (2008年6月3・4日)

■俺らいちぬけた (2008年5月11日)